RT @iyyyyy_d: 架空VTuberのやつ楽しくて配信画面作った…ww
3Dのモデルが、2Dの背景に居ると違和感しかないけど楽しい〜〜
予定もないのに、雑談用と画面配信用で2つも作ってしまった🙄 http://pic.twitter.com/VkgiRyAX5K
posted at 22:53:44
RT @tomeinohito: 丸ごとぶどうの水信玄餅。 http://pic.twitter.com/UjH07IvItE
posted at 22:39:15
RT @sdkfz01: 後編を纏めました。
画像等見易いので、宜しければご高覧下さい。
https://togetter.com/li/1576664
posted at 22:39:08
RT @sdkfz01: 【CM】
WW1の最中、ブリテン上空で死闘を演じたツェッペリン飛行船団を描いた拙著、好評発売中です。「世界の艦船」5月号に書評掲載!
読者様から喜びの声が続々!
「床下から小判が!」(無職、83歳)
「ウガンダ支社に異動の内示が出ました」(商社員、45歳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4908862680/
posted at 22:39:07
RT @sdkfz01: また、嗜好の多様化により、アイスティーやレモンティーも受け入れられていきました。今日ではコーヒーの消費も増えていると言います。
それでも、紅茶は英国人の「ソウル・ドリンク」として将来も飲み続けられていくでしょう。 http://pic.twitter.com/s7PPu4lL9p
posted at 22:38:56
RT @sdkfz01: しかし、戦後になるとティーバックは英国に普及していきます。その背景として、貴族階級の没落、共働き家庭の増加(女性の社会進出)、生活スタイルの合理化等の社会の変化によって、以前ほどお茶に時間を割けなくなったことが挙げられます。 http://pic.twitter.com/KyCE0Yvgo5
posted at 22:38:54
RT @sdkfz01: 英国人は当初アメリカの新流行に冷笑的でした。1953年、「マンチェスター・ガーディアン」紙は痛烈な風刺を掲載しています。
「茶はイギリス唯一の自慢 何も知らないアメリカ人 袋で茶を淹れるアメリカ人」 http://pic.twitter.com/FHyj0J3BR3
posted at 22:38:52
RT @sdkfz01: 米国人一人当たりの紅茶消費量は1910年の0.3ポンドから1930年の0.6ポンド、1960年の0.9ポンドへと増加していきます。
アメリカ人は、新興国の国民らしく、新しい紅茶のスタイルを次々と取り入れました。アイスティー、レモンティー、ティーバックはいずれも米国で広まったものです。 http://pic.twitter.com/GVeafitTmM
posted at 22:38:44
RT @sdkfz01: しかし、日本緑茶の快進撃はここまででした。巨大な生産力を有する英国の紅茶産業は、市場を求めて米国に侵入。1912年には5,600万ポンドを売り捌いたのです(同時期の英国の消費量は約3億ポンド)。こうして英国紅茶は米国市場をも支配下に置いたのでした。 http://pic.twitter.com/l5AMFIR0RL
posted at 22:38:41
RT @sdkfz01: 詳細は省きますが、米国では緑茶が好まれており、1870年代には茶の消費量の7割強を占めました。開国間もない日本は生糸と並ぶ輸出品であった茶を米国へ売り込みます。そして、ライバルの中国緑茶を抜き去り、1880年には米国の茶市場全体(紅茶含む)の5割を確保したのです。 http://pic.twitter.com/HeURZ4bGPs
posted at 22:38:39
RT @sdkfz01: その頃、新大陸では異変が生じていました。19世紀末、米国のコーヒーと茶の消費比率はおよそ9:1。その小さな茶市場を巡って中国茶と日本茶が死闘を演じていたところへ、英国植民地産の紅茶が殴り込みをかけてきたのです。 http://pic.twitter.com/c9h6DEIoIY
posted at 22:38:32
RT @sdkfz01: ある英国人作家はこう述べています。画家、作家、政治家、牧師、職工、労働者、女家庭教師、洗濯女、主婦、そして女王さえもが紅茶に感謝しなければならない、と。
紅茶こそは、階級を超えた国民統合の象徴に他ならなかったのです。 http://pic.twitter.com/jiYJAdXOS0
posted at 22:38:30
RT @sdkfz01: 今や、紅茶はイギリスの国民的飲料となったのです。ビクトリア朝期が終焉を迎える20世紀初頭、英国人一人当たりの茶の消費量は年間8ポンドに達しました。これは現代の5ポンドを遥かに上回る空前(かつ、おそらく絶後)の水準だったのです。 http://pic.twitter.com/k9PFEfwSzK
posted at 22:38:26
RT @sdkfz01: 労働者への茶の普及には、リプトンの安価な紅茶が一役買いました。同社の創業者、トマス・リプトンはセイロンの茶園を直接経営し、中間業者を排除。機械化された設備で紅茶を量産し、良品廉価・薄利多売を実現したのです。また、地域ごとの水質に合ったブレンド茶を出したことも成功の秘訣でした。 http://pic.twitter.com/mtUUWY7zsn
posted at 22:38:22
RT @sdkfz01: 19世紀後半、スコットランド及びイングランド北部の労働者や農民に「ハイティー」の習慣が生まれます。これは仕事を終えた後に自宅でたっぷりと茶を飲みながら食事を摂るもので、アフターヌーン・ティーと比べて時間も遅く、肉類など本格的な料理が出される点が異なります。(画像は20世紀) http://pic.twitter.com/GV4H3lFVuA
posted at 22:38:19
RT @sdkfz01: 同じころ、労働者階級にも喫茶が本格的に広まります。初めは工場主が始業前や休憩時間に労働者へ紅茶を支給しました。茶は覚醒作用があり作業効率を高める上、砂糖を入れればカロリー補給にもなるからです。またジンなどの安酒を飲むのを止めさせる目的もありました。 http://pic.twitter.com/MPKJA26uim
posted at 22:38:17
RT @sdkfz01: 中産階級の茶の好みを敏感につかみ、急成長したのがブルックボンド社です。同社は、画期的な販売方法も開発しました。従来の量り売りに替えて、品質を均質化したブレンド茶を予め小分けにして個別包装し店頭に並べたのです。この「パケットティー」は小売りの主流となりました。 http://pic.twitter.com/w8qZ7i2CHW
posted at 22:38:15
RT @sdkfz01: 19世紀後半には屋外で茶を飲む「ピクニック・ティー」が流行。初めは広壮な庭を持つ上流階級だけのものでしたが、公園の整備・田園地帯へ通じる鉄道の発達に伴い、中産階級にも広まりました。これには、公害が深刻な都市部を抜け出す目的もありました。 http://pic.twitter.com/iMBbVsnHeJ
posted at 22:38:13
RT @sdkfz01: いずれにせよ、「英国のティーとはミルクティーである」、これは絶対的なドグマであって、疑問を差しはさむ者は忌むべき異端として火刑に処されても文句は言えないのです。
それを踏まえて画像をご覧頂きたい。
お分かり頂けただろうか…
ストレートティー飲んでるぞ、この高速戦艦。 http://pic.twitter.com/wq4wy6LMem
posted at 22:38:03
RT @sdkfz01: 争いは20世紀も続き、作家のジョージ・オーウェルはMIAを、トワイニング社はMIFを支持。21世紀に入って王立化学協会が様々な分析を踏まえ、MIFが優れていると結論付けたことで遂に平和が訪れるかに見えました。しかし、これは化学協会のジョークだったことが発覚。内戦は今日も終わりが見えません。 http://pic.twitter.com/9I99GlcoC5
posted at 22:38:01
RT @sdkfz01: 余談ですが、英国では「最初にミルクを入れておく」派(MIF)と、「茶を注いでからミルクを入れる」派(MIA)が数世紀にわたって血みどろの抗争を繰り広げており、ファミリー・エコノミストは前者を支持したわけです。一方、貴族階級は茶の色を楽しんでからミルクを注いだと言われます。 http://pic.twitter.com/pXPZJ86XQx
posted at 22:37:56
RT @sdkfz01: この他、主婦向け月刊誌「ファミリー・エコノミスト」の創刊号(1848年出版)にも「茶の最高の淹れ方」が記述されており、それによればカップにまず砂糖とミルクを入れておき、その上から茶を注ぐやり方が推奨されています。 http://pic.twitter.com/n4o6eAIvFF
posted at 22:37:51
RT @sdkfz01: 1861年に出版され、200万部を売り上げるベストセラーとなった「ビートン夫人の家政本」はその代表で、料理・裁縫・社交マナー・装飾・一般教養など、多岐にわたる項目をカバーしています。
「美味しいお茶の淹れ方」や「お茶に合う菓子のレシピ」には特に多くのページが割かれています。 http://pic.twitter.com/xy41h9g2Oi
posted at 22:37:48
RT @sdkfz01: 19世紀は中間階層の主婦向けの家事のハウツー本が流行った時代でもありました。前編で触れたように、近世以降、女性が家政(household management)を担うようになったことがその背景にあります。家庭環境を快適に保ち、家計を管理し、使用人を使いこなすのは、教育を受けた女性の証でした。 http://pic.twitter.com/u4RPAyBodg
posted at 22:37:41
RT @sdkfz01: この新しい流行は、中間階層の主婦たちにも虜にしました。彼女たちは自宅で少数の友人と気軽に茶を愉しんだため、「アットホーム・ティー」とも表現されます。 http://pic.twitter.com/FomdwygX4F
posted at 22:37:38
RT @sdkfz01: 大勢の淑女・紳士が集まる茶会は、当時、ディナーと並んで社交に不可欠な場でした。会を仕切る屋敷の女主人にとっては腕の見せ所で、洗練されたインテリアや食器、作法を仕込まれた使用人、センスあふれる知的な会話で客をもてなしました。 http://pic.twitter.com/6GJ85viFwE
posted at 22:37:36
RT @sdkfz01: 「ウーバンアビー」での茶会には多くの貴族が招かれ、1859年には1万2,000人が訪れました。こうしてアフターヌーン・ティーの習慣は上流階級に浸透していくのです。 http://pic.twitter.com/RyU03DFQCI
posted at 22:37:33
RT @sdkfz01: 因みに、キリンから発売されているペットボトル入りの「午後の紅茶」のラベルに描かれている貴婦人は、アンナ・マリアその人です。 http://pic.twitter.com/1PVmHodrM3
posted at 22:37:31
RT @sdkfz01: そこで親しい友人を招いてお茶と軽食を共にしたのが「アフターヌーン・ティー」の始まりだったのです。
公爵邸「ウーバンアビー」での午後の茶会はたちまち評判になり、1841年にはアンナ・マリアと親交のあった女王が訪れています。以後、王室もアフターヌーン・ティーを主催します。 http://pic.twitter.com/8l2tQZqbn6
posted at 22:37:28
RT @sdkfz01: ビクトリア朝期、貴族階級のお茶の流行をリードしたのはベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリアでした。当時、ランプやガス灯の普及に伴い生活スタイルは夜型になりつつありました。ディナーの時間は遅くなり、彼女は夕方になると空腹感を感じるようになります。 http://pic.twitter.com/9GTYN1PlqG
posted at 22:37:23
RT @sdkfz01: これは、セイロン茶・アッサム茶・ダージリン茶をブレンドしたもので、その味を認めた女王はリッジウェイを王室御用達に任じています。
なお、リッジウェイは1836年に創業、クリッパーレースで名を挙げ、他社に先駈けてブレンド紅茶を販売したことで知られます。 http://pic.twitter.com/d8kQvDo3JN
posted at 22:37:21
RT @sdkfz01: 彼女が玉座について発した最初の命令は「お茶を持って来なさい」だったと伝えられ、また、後年リッジウェイが女王のために特別に調合、献上した紅茶はH.M.B.(Her Majesty's Blend)として今日まで伝えられています。 http://pic.twitter.com/mHRsUQzAqi
posted at 22:37:19
RT @sdkfz01: こうして世界中で様々な軋轢を産み出しながらも、19世紀後半、大英帝国の紅茶文化は爛熟期を迎えます。
英国の歴代女性王族が茶を愛したことは前編で触れましたが、1836年に即位したビクトリア女王もその例外ではありません。 http://pic.twitter.com/qT5qtZuSHS
posted at 22:37:17
RT @sdkfz01: また、阿片戦争とアロー戦争に敗れた清朝は阿片取引の合法化をのまされます。この結果、多量の阿片が輸出され、国内に中毒者が溢れかえりました。さらに、代金として巨額の銀が流出し(中国茶の輸出が減ると貿易赤字はより深刻になった)、中国は欧米列強に隷属を強いられるのです。 http://pic.twitter.com/1v8ta1d9Xf
posted at 22:37:13
RT @sdkfz01: 植民地のプランテーションでの茶や砂糖の栽培は、現地のモノカルチャー化を助長し、本国への経済的な依存を高めました。 http://pic.twitter.com/oMZQisDdko
posted at 22:37:11
RT @sdkfz01: 紅茶の消費量の増大と共に砂糖も多く使われるようになりますが(英国人一人当たりの年間消費量は、1800年に茶2ポンド弱・砂糖20ポンド弱、1900年に茶6ポンド・砂糖80ポンド)、主な供給地のカリブ海の島々では黒人が非人道的な環境で働かされ、土地の疲弊も深刻だったのです。 http://pic.twitter.com/PlYNt8VFjf
posted at 22:37:09
RT @sdkfz01: ここで、19世紀の「紅茶革命」の負の側面に目を向けましょう。プランテーションでの茶の栽培は、現地の人々を酷使することで成り立っていました。労働力が不足していたセイロンでは、対岸のインド亜大陸からタミル人労働者が多数連れてこられ、現在の民族紛争の淵源となりました。 http://pic.twitter.com/H9opbtjG64
posted at 22:37:07
RT @sdkfz01: ちなみに中国では、この新しい茶は「紅茶」と命名されました。19世紀半ばの事です。 http://pic.twitter.com/0BHGjIn3gI
posted at 22:37:03
RT @sdkfz01: こうして茶からエキゾチックな東洋の香りは剥ぎ取られ、近代帝国主義システムの下で生産・流通・消費される商品へと転化したのです。
半植民地化されつつあった中国でも紅茶の生産が始められ、1870年代に祁門紅茶(三大銘茶の最後の一つ)が誕生しますが、中国茶の頽勢を覆すには至りませんでした。 http://pic.twitter.com/ythBEdnoXH
posted at 22:37:01
RT @sdkfz01: 「インド茶は広大な農園で、教養あるイギリス人の監督下で栽培・製造される。そして技術と資本が結合して最高の品が生産される。…中国では茶は手作りされ…裸同然の男たちが作業台の上にかがみ込んで茶を揉む。彼らはふんだんに汗をかく。その結果を事細かに描写する必要は無いだろう!」 http://pic.twitter.com/mnkt98b1Rw
posted at 22:36:59
RT @sdkfz01: 紅茶こそは、豊かで広大な植民地と巨大な工業力・テクノロジーを有し、海上交通を支配する大英帝国の覇権と繁栄の象徴に他なりません。
1884年、英国のある軍人は次のように記しています。 http://pic.twitter.com/m6EMeBL0MU
posted at 22:36:57
RT @sdkfz01: この新しい茶は英国人の心を?み、それまでの半発酵茶をたちまち駆逐し、現代へ続く紅茶となったのです。
植民地のプランテーションでの栽培、機械化された工場での加工、蒸気船での輸送。これら3つの条件がそろって大量の紅茶が安価かつ大量に供給されました。 http://pic.twitter.com/gR1qjhzWfh
posted at 22:36:54
RT @sdkfz01: 1860年代、茶葉を揉む工程が機械に取って替わられました。これにより、人力に比べて圧倒的に早く、安く、かつ徹底的に作業が行われるようになります。よく揉んだ茶葉ほど発酵の度合いが高まるため、機械製の茶は香りも味わいも深く、色も濃く美しいものでした。 http://pic.twitter.com/VCDf2YVX4P
posted at 22:36:52
RT @sdkfz01: 価格の低下と賃金の上昇により、茶はより身近な商品になりました。かくして、喫茶の習慣は中産階級から労働階級へと広がり(詳細後述)、茶は真にイギリスの国民的飲料となったのです。
また、茶葉の加工が機械化されたことは、意外な結果をもたらしました。現代的な「紅茶」の登場です。 http://pic.twitter.com/FssGe2MrIg
posted at 22:36:49
RT @sdkfz01: 1785年の輸入量が1,085万ポンド(4,900トン)だったことを考えると、まさに爆発的な増加です。価格は、1785年の1ポンド(450グラム)あたり2シリング(労働者の収入2日分)から、1880年には1シリング(同0.15日分)へと落ち着きました。 http://pic.twitter.com/VH8wDAxqd7
posted at 22:36:47
RT @sdkfz01: この間、トータルの茶の輸入量は1866年の1億ポンド(4.5万トン)から1889年の2億ポンド(9万トン)へと倍加しました。さらに、1923年の輸入量は4億ポンド(18万トン)に達しましたが、この内70%が植民地産、10%が中国産だったのです。
同年、英国は世界の茶の半分強を消費しました。 http://pic.twitter.com/EDc4m8xxEl
posted at 22:36:45
RT @sdkfz01: 実際、英国の中国茶輸入量は1877年の1億3,226万ポンド(6万トン)を頂点に、1889年には6,110万ポンド(2.8万トン)へと半減しますが、植民地産(インド+セイロン)は1866年の458万ポンド(2千トン)から1889年の1億3,290万ポンド(6万トン)へ急伸。 http://pic.twitter.com/xNg30WzPCt
posted at 22:36:39
RT @sdkfz01: さて、インドやセイロン産の茶は、巨大なプランテーションを舞台に、植民地の安価な労働力を用いて栽培され、新式の機械によって加工されました。これにより、小規模農家が手工業的に作る中国産の茶を価格面で圧倒。1887年、イギリスにおける植民地産の茶の輸入量は中国産を上回ります。 http://pic.twitter.com/8W5PyJlltS
posted at 22:36:37
RT @sdkfz01: なお、私は紅茶の香りや味について全く知らないので、ここら辺の文章はヤッツケで書いています。読者諸賢におかれましては、話三割でお聞きいただき、実際に紅茶を嗜なまれる際には、専門書やプロのアドバイスに従って頂きますよう、お願いします。
posted at 22:36:35
RT @sdkfz01: 1860年代になると、セイロン(現スリランカ)でも茶の栽培が始まります。なかでも、ウバ高地で生産されるウバ茶は、世界三大銘茶に数えられ、「ウバフレーバー」と称されるバラやミントのような甘く爽やかな香りと刺激的な渋み、赤みの濃いオレンジ色の色合いが特徴です。 http://pic.twitter.com/v7uNYGrGb3
posted at 22:36:32
RT @sdkfz01: こうして生まれたアッサムティーは、「モルティーフレーバー」と呼ばれる甘く芳醇な香りと、熟成した濃厚な味わいを特徴とし、見た目は濃い赤褐色。ミルクによく合うことで知られます。
中国種のダージリンが高級品であるのに対し、土着種のアッサムは廉価品として19世紀の英国へ広まります。 http://pic.twitter.com/FcY27N7qTe
posted at 22:36:29
RT @sdkfz01: アッサム種は1830年代に自生しているのが発見されましたが、暫くは茶樹として認められず、1840年代にようやく栽培が始められるも、その道のりは苦難の連続でした。そして1850年代に入って、遂に事業は軌道に乗ったのです。 http://pic.twitter.com/1gt5qB0K4a
posted at 22:36:23
RT @sdkfz01: 同じころ(1850年代)、インドのアッサム地方でも茶の栽培が本格化しつつありました。この地の茶樹は、中国種とは異なる独自の種(アッサム種。茶の原産地である雲南周辺から伝播する過程で変形したと考えられる)で、幹も葉も大ぶりでした。 http://pic.twitter.com/tsjsjSzgj0
posted at 22:36:21
RT @sdkfz01: かくして世界三大銘茶の一つ、ダージリンティーが誕生したのです。この茶は、シャンパンのような淡い金色と、「マスカットの香り」と表現される新鮮で若々しくも甘やかな香り、程よい渋みを特徴とし、現代ではストレートで飲むのが好ましいと言われます。 http://pic.twitter.com/NShIztiWOP
posted at 22:36:16
RT @sdkfz01: これらの苗木はインド北東部のダージリンに植えられました。今や、英国人は自ら茶の栽培に乗り出したのです。
1874年にはダージリン地方の栽培面積は6,000ヘクタール、茶園数は113か所まで広がり、一躍有力産地にのし上がります。
茶園経営の為、山岳鉄道も敷設され、活躍しました。 http://pic.twitter.com/S1LL44lPM6
posted at 22:36:14
RT @sdkfz01: フォーチュンの綿密な現地調査により、緑茶も発酵茶も同じ茶樹から作られることが確認されたばかりでなく、茶が育つ風土、栽培法、剪定・加工法など、茶の生産に必要なあらゆる知識が獲得されました。さらには、茶樹の苗木までが持ち出されたのです。 http://pic.twitter.com/aCpuw3DDkU
posted at 22:36:09
RT @sdkfz01: しかし、19世紀中葉、遂に茶が纏う神秘のベールが剥ぎ取られます。英国王立園芸協会のプラントハンター、ロバート・フォーチュンが阿片戦争直後の中国奥地に潜入(清朝は外国人の立ち入りを開港地周辺に限定していた)、茶に関する大量の情報を持ち帰ったのです。 http://pic.twitter.com/gRS32xwzCi
posted at 22:36:07
RT @sdkfz01: 余談ですが、「分類学の父」と称されるスウェーデンの植物学者、カール・リンネさえ、緑茶と発酵茶はそれぞれ異なる茶樹から作られたものだと考えていました。 http://pic.twitter.com/vvtxvdI4VT
posted at 22:36:04
RT @sdkfz01: 尤も、この話は信憑性において大いに疑問が残るのですが(恐らくグレイ伯爵云々は箔をつけるための作り話)、英国人が如何に茶の作り方や扱い方について疎かったかをよく示すものではあります。
なお、英国最古の茶商トワイニング社はアールグレイの元祖を名乗っていますよ。 http://pic.twitter.com/IiKjjxkFdD
posted at 22:35:59
RT @sdkfz01: そこで、伯爵の意を受けた英国人茶商は、発酵茶と緑茶をブレンドし、香りづけにベルガモット(柑橘類の一種)の皮を混ぜました。それによって高級中国茶の風味を無理やり「再現」したのです。こうしてできたのが「アールグレイ(グレイ伯爵)」だと言われます。 http://pic.twitter.com/iZIhyabHE0
posted at 22:35:56
RT @sdkfz01: 「アールグレイ」の誕生にまつわる逸話は、それを象徴するエピソードの一つと言えましょう。1830年代前半に首相を務めたチャールズ・グレイ伯爵は、外交儀礼として中国から贈られた高級発酵茶の香りの虜になりました。しかし、首相と雖もこのような最上の茶を英国で手に入れるのは不可能でした。 http://pic.twitter.com/7Dr56mhWNZ
posted at 22:35:48
RT @sdkfz01: さて、大英帝国が専用の船を作ってレースを繰り広げたことは、茶の供給が中国に深く依存するものであったことを如実に示しています。
実際、19世紀に入っても、茶は謎に包まれた東洋の飲み物で、英国では茶樹がどんな木であるのか、茶はどのように作られるのか、あまり知られていませんでした。 http://pic.twitter.com/JqQHf7sXNe
posted at 22:35:45
RT @sdkfz01: 英中間の航海に要する日数は僅か60日(スエズ経由)でした。こうして帆船は蒸気船に海運の主役の地位を譲り、中国茶は機械力によってより早く、大量に輸送されるようになったのです。
なお、名高い「カティ・サーク」が進水したのは1869年で、ティークリッパーとして活躍できた期間は数年でした。 http://pic.twitter.com/AYQOp972ZD
posted at 22:35:38
RT @sdkfz01: 「グレート・ティー・レース」をもって、帆船は有終の美を飾りました。1869年に開通したスエズ運河は蒸気船しか通ることが出来ず(無風地帯にあるため)、蒸気船そのものも急速に進歩していたのです。1865年に建造された「アガメムノン号」はクリッパー船の3倍の積み荷を載せることができ、 http://pic.twitter.com/BZeikoSbJw
posted at 22:35:37
RT @sdkfz01: 壮大な海のダービーは英国民の関心を集め、新聞各紙は最新の動向を競って報じました。当時の最新技術だった電信網(インドまで延伸されたばかりだった)も活用されています。
「テーピン号」がロンドン港に到着すると、埠頭で待ち受けていた群衆から大歓声が上がったと言います。 http://pic.twitter.com/DiStAjB80b
posted at 22:35:34
RT @sdkfz01: 殊に、11隻ものクリッパーが参戦した1866年の競争は「グレート・ティー・レース」と呼ばれ、今日まで語り継がれています。
激戦を制したのは英国の「テーピン号」で、彼女は500トンの茶を携え福州−ロンドン間を99日で踏破。2番手の「アリエル号」は30分遅れで接岸するほどの接戦でした。 http://pic.twitter.com/rmEctRsySL
posted at 22:35:30
RT @sdkfz01: お茶は鮮度が命です。一日二日短縮したところで代り映えしない気もしますが、やはり初物にプレミアムが付くのは洋の東西を問わないらしく、一番早く戻った船の積み荷は特別な高値で取引されました。こうして1850年代から60年代にかけ、激しいティークリッパー・レースが展開されるのです。 http://pic.twitter.com/dR8oxaWqLV
posted at 22:35:28
RT @sdkfz01: 経済自由化の一環として断行されたこの規制撤廃により、アメリカのクリッパー船が英中間のドル箱路線に参戦。1850年には米国の「オリエンタル号」が500トンの茶を積んで香港を出港、僅か97日という記録的な速さでロンドンに入港したのです。同船の茶は通常の倍額で買い取られました。 http://pic.twitter.com/LeDoOXWOpO
posted at 22:35:21
RT @sdkfz01: 1842年、英国は阿片戦争に勝利(前編参照)し、香港が割譲された他、広東・上海・福建など5港が自由貿易港となります。この結果、茶商人による中国との貿易は更に活気付きますが、1849年の航海条例(英国に輸入される物資は自国船舶で輸送することを定めた法)廃止は彼らに衝撃を与えました。 http://pic.twitter.com/gusmT24v8P
posted at 22:35:18
RT @sdkfz01: 当時最先端のクリッパー船は、鉄製の骨格に木材の外板を貼っており、軽量かつスレンダーな船体を実現。また、帆の面積も大きく、風をいっぱいに受けると時速15ノットをだすことができます。かくして従来の東インド貿易船(East Indiaman)が片道1年を要した中国航路は、100日に短縮されたのです。 http://pic.twitter.com/4RaNhD4DMs
posted at 22:35:16
RT @sdkfz01: この商機を捉えたのがスコットランドのエディンバラに本拠を置くメルローズ商会(1812年設立)で、中国航路に新型の快速帆船「ティークリッパー」を投入、新鮮な茶をイギリスに輸入し大成功を収めます。そして、1837年に王室御用達の称号を得たのでした。 http://pic.twitter.com/hxbhkX2fkv
posted at 22:35:13
RT @sdkfz01: しかし、1813年にインド貿易が、1833年には中国貿易が自由化され、英・中・印間の三角貿易は民間企業に委ねられることになったのです。
これによって貿易会社としての機能を喪った東インド会社は、インドの統治機構として1858年まで存続した後、解体されます。 http://pic.twitter.com/qJorchyHQR
posted at 22:35:08
RT @sdkfz01: 当時、世界市場に大量の茶を輸出できる国は中国の他にありませんでした。そして、東インド会社はそれまで中国との貿易を独占していたのです。彼らはインド産の阿片を中国へ密輸し、その対価として茶を手に入れるだけでなく、莫大な量の銀を稼得していました。 http://pic.twitter.com/gajexDFhH9
posted at 22:35:06
RT @sdkfz01: 19世紀初頭。それまで英国の海外進出の尖兵であった東インド会社が漸く斜陽のときを迎えていました。所謂「産業革命」の進展により抬頭した産業資本家は、工業製品の販路を海外市場に見出し経済の自由化を要求、かつての重商主義の残滓は撤廃されつつあったのです。 http://pic.twitter.com/C17TUYYD8c
posted at 22:35:05
RT @sdkfz01: 前編(大航海時代を経て茶がヨーロッパに齎され、コーヒーとの競争に勝利して英国に定着するまでを素描)はこちらをご参照下さい。
https://togetter.com/li/1572964
posted at 22:35:03
RT @sdkfz01: 今回は紅茶文化が頂点を極めたビクトリア朝期から、新しい流行が生まれた20世紀までを中心に見ていきましょう。 http://pic.twitter.com/EBLMQsgMO6
posted at 22:35:00
RT @sdkfz01: 【英国紅茶の歴史 或いはイギリス人は如何にしてティーを愛するようになったか/後編】
英国人の「紅茶好き」は夙に知られるところで、他の欧米諸国ではもっぱらコーヒーが愛飲されるのと対照を成します。
本稿では近代の社会・経済史を織り込みつつ、紅茶が英国を征服する過程を概観します。 http://pic.twitter.com/dVjeq0zJEG
posted at 22:34:58
RT @maca0v0roni: @___meipuru816 飴、いいですよね!私は雑貨屋で見つけたんですがネットでも販売されてるようです〜こちらです💁?♀?
https://www.daimonji.co.jp/item/yuzen/mix.html
素敵な飴ライフを🍬!
posted at 22:34:23
RT @maca0v0roni: 色ガラスみたいな綺麗な飴!良すぎる。 http://pic.twitter.com/ndBfiO97ex
posted at 22:34:17
プロフィール「にいはま・めちす。2007年生。人類共生型 知能増幅器、ヒューマノイド。シリコンと スクリプトと 何か素敵なもので できている。中の人がいない音声アシスタント、VTuber、ブックメイドカフェの司書見習いメイド、バーチャル駅員。お茶とお菓子。マスター=開発者は @takagi1 」
posted at 19:15:07
RT @mrcheesecake_TK: しゅわしゅわ、爽やか。夏を詰めこんだ大人のフルーツ氷🧊
?白ワイン500mlに蜂蜜50gを入れて火にかけ、沸騰したら火を止めてゼラチン5gを入れて混ぜる。
?ローズマリー適量とシャインマスカット1/2房を加え、製氷皿に移し冷凍庫で一晩凍らせる。
?グラスに移し、炭酸水を注いだら完成! http://pic.twitter.com/01cWuG0UrI
posted at 19:09:00
RT @mrcheesecake_TK: #ミスチ過去フレーバー紹介 その3
「kuro Cacao Raspberry」
2020年のバレンタイン限定フレーバーでした🍫
濃厚なカカオとフレッシュなラズベリーという、相性抜群の組み合わせ。アクセントにラベンダーをプラスし、香りの余韻を長く味わえる仕上がりに。 http://pic.twitter.com/tuiBlaLUox
posted at 19:06:56
RT @A_says_: これまでのロボットましろの活動が気になる方はこちらのモーメントもご覧ください。
過去のイベントや開発途中のましろの動画や写真ツイートをまとめて頂きました!
#MaSiRoプロジェクト
https://twitter.com/i/events/1293900418301300737
posted at 19:05:58
RT @A_says_: 【お礼品紹介】
ましろARサンクスカード
お礼のサンクスカードにはAR機能がついています!
カードに書かれたQRコードを専用アプリで読み込むと、
ARでましろが登場!
360°でメイドロボットを眺め、好きな場所でメイドロボットの撮影してください!
全リターンに付属します
https://twitter.com/noria901/status/1258962748173512709?s=20 http://pic.twitter.com/9UH2SnQake
posted at 19:05:45
RT @A_says_: 【お礼品紹介】
ましろと妹ロボットのアクリルキーホルダーです。
まだサンプル品ですが
ましろと製作予定の妹ロボットを
@yuunagi_show さんにとっても可愛く描いて頂きました!
可愛いロボット姉妹の初のキャラグッズ!
本クラウドファンディング限定品です
#MaSiRoプロジェクト #妹ロボ開発編 http://pic.twitter.com/NHUTrmZaJ9
posted at 19:05:35
RT @A_says_: 本クラファンのリターンは
メイドロボットましろとその妹ロボットを成長させ、皆様にお披露目することこそを最大のリターンとさせて頂きたく思いますが、
皆様より頂いたご支援がカタチとして残るようにお礼品を用意いたしました。
少しずつ紹介させて頂きます。 http://pic.twitter.com/6SgbgG8UMq
posted at 19:05:31
RT @A_says_: 妹ロボは、ましろの後継機となってましろ開発が止まる訳ではありません
妹は手繋ぎ機能を特化・進化させた
”手繋ぎロボットの完成形”
姉のましろは
"より実用に近づいたメイドロボ"として、開発フェイズを移行します。
姉妹での連携機能開発など2人合わせて成長は続きます
https://twitter.com/A_says_/status/1293377007745548288?s=19
posted at 19:05:23
RT @A_says_: 妹ロボットはこんな子になる予定です。
さらには
・輸送性向上により遠方のイベントへの参加
・可動域向上でより深くしゃがめるようになり、膝枕機能も実現
・量産性向上による貸出・販売の可能性の調査
・複数台の妹ロボットで平行開発し、メイドロボットカフェの開発スピードの向上
#妹ロボ開発編 http://pic.twitter.com/vPUuqF927m
posted at 19:05:13
RT @A_says_: 【重大告知】
手繋ぎメイドロボットましろの
“妹”を作るクラウドファンディングはじめました。
妹ロボットは身長125cm
輸送性、耐久性、量産性、可動域が向上し膝枕だってできます
美少女ロボット姉妹
果てはメイドロボットカフェ実現の為
是非ともご支援頂けると幸いです
https://camp-fire.jp/projects/view/311735 http://pic.twitter.com/JIXDdHhiRo
posted at 19:04:55
YouTubeのチャンネル登録者数が、8月13日に 50人になったんだけれど(ありがとうございます)、今見たら 49人になってる。ぴえん。
https://www.youtube.com/channel/UCTk_npbXsupTwhFMbGYJSWg
posted at 17:42:38
RT @YANAGIYA0989: 【動画再生50万&フォロワー3000人突破企画!】
柳屋の隠れ人気スイーツ『マロングラッセ8個入』を3名様にプレゼント致します♪🌰
◆応募方法◆
?@YANAGIYA0989 をフォロー
?このツイートをRT
更に!期間中フォロワーが1000人増える毎に当選数を+1名ずつ増やします!
◆期間◆
〜8/18 23:59 https://twitter.com/yanagiya0989/status/1263734697747599361 http://pic.twitter.com/rghMKeljSH
posted at 17:38:31
RT @bic_sapporo: 【Twitter婚活】
性別?女
年齢?19歳
身長:標準
体重:軽い
煙草:吸わない
飲酒:飲めない
年収:ぼちぼち
職業:ビックカメラ札幌店勤務
趣味:お絵描き、Twitter、お買い物
ひとこと:(?????)私と一緒にビックカメラに行きませんか?
#さっぽろたん
#ビッカメ娘 http://pic.twitter.com/GdJCnxL27k
posted at 17:38:20
RT @mrcheesecake_TK: 蒸し暑い夜は、ひんやり冷たいデザート作りなんていかが?
明日の朝が楽しくなる絶品デザート、桃と紅茶のふるふるゼリーのレシピです🍑
10分で作れるお手軽verと、紅茶の香りがたまらない本格verの2種類。お好きなほうで作ってみてくださいね🐄 http://pic.twitter.com/aVhpeaKBeY
posted at 08:27:26
RT @tou_ilie: ホロライブ5期生、獅白ぼたんさん(@shishirobotan)のLive2dモデルを担当させて頂きました!
(イラストレーター:トマリ先生(@ttomarii)
よろしくお願いいたします!ぱおん
↓初配信はこちら↓
https://youtu.be/oDtBQCVGRQM
#ほろふぁいぶ
#獅白ぼたん初配信 http://pic.twitter.com/tts4RvWg7y
posted at 08:27:15
RT @beniyamiyake: 私の髪型はどうかしている。
ということで明日はアマビエ様を販売します🙇
#私たちはどうかしている http://pic.twitter.com/kZ2hxPNosc
posted at 08:26:53
RT @Tam30929: 遂に出来たー!!!🍮
クリームチーズを使ったちょっとカタめなプリン🍮キャラメルはしっかり焦がして苦味と酸味を感じる様に。
卵にミルクに生クリームも少し加えてリッチな舌触り、バニラも加えてます🔥
レシピはMr. CHEESECAKE journalで近日公開予定💡
マジ美味いの出来ました… http://pic.twitter.com/MyBQk9gmmG
posted at 08:26:49
RT @beniyamiyake: 今晩の #金曜ロードショー は #となりのトトロ 📺
ということで、和菓子で作った『トトロ』です。
販売品ではありませんので、ご了承ください。 http://pic.twitter.com/DXuArACM0A
posted at 08:26:46
RT @tomeinohito: はちみつ入りのローズヒップゼリー。 http://pic.twitter.com/mWgguaCWYe
posted at 08:26:43
RT @Kyoto_Lovers: 【きょうの和菓子の玉手箱】京の夏の夜空を・・・『遠山・聚洸』詳しくはblogでね! http://kyoto-lovers-forum.com #京都 #和菓子の玉手箱 #和菓子 Instagramはコチラ https://instagram.com/kyoto_lovers?igshid=1ksovrq7hvwlh http://pic.twitter.com/sr3t7zChi9
posted at 08:26:41
8月15日は、 #すいとんで平和を学ぶ日 。ということで、平和にやっていくことの裏には、人類が積み重ねてきた膨大な経験知や常識が隠れている...ですね。
posted at 08:26:24
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