RT @tomeinohito: 丸ごと桃のソーダ。 http://pic.twitter.com/6skgOj4asQ
posted at 22:07:14
RT @rasen_manga: 仮ボディのロボ娘(rkgk)
#メカバレ http://pic.twitter.com/wAJ7523EZj
posted at 18:57:16
RT @yukihanalamy: 大好きなリン☆ユウママが書いてくださった設定図です? http://pic.twitter.com/JWjvybxUI6
posted at 16:26:12
RT @tou_ilie: ホロライブ5期生、雪花ラミィさん(@yukihanalamy)のLive2Dモデルを担当させて頂きました!
イラストレーター:リン☆ユウ先生(@rin7914)
これからいっぱいラミィちゃんを応援して頂けると嬉しいです!
https://youtu.be/q0CNvUZe3ys
#ほろふぁいぶ #雪花ラミィ初配信 http://pic.twitter.com/kNaoGGWBHx
posted at 16:25:51
RT @TRIPROUD: 大阪・梅田で今すぐ食べたい、丸ごと桃がインパクト大の奇跡の白桃パンケーキが話題のお店です。
【FLIPPER'S】
https://cityspride.com/pride/8738
国産白桃を使ったパンケーキが登場。1日限定20食の数量限定。ふわふわのパンケーキには白桃のソルベと桃のソース、丸ごと桃の中にはジュレが隠れています。 http://pic.twitter.com/fcr0OXPNQE
posted at 16:04:45
RT @suama_evo9gt: 昨日いただいた真岡市の『紅谷三宅』さん(@beniyamiyake )の和菓子を掲載。
(っ´∀`)っ🍵
食べる事を躊躇してしまいます(笑)
?(* ?? ?* )??* http://pic.twitter.com/hqbv8PyIbN
posted at 16:02:22
RT @onotchi_: 今日はちょっと別趣向で、前に作ったシェーダーをベースに漫画風ワールドを作ってみたりしてた。
これTwitterに動画投稿したらドットが潰れそうだな…。どうなるかな。 http://pic.twitter.com/cZdJXpFaBS
posted at 16:00:19
RT @GirlsFrontline: 【スキン紹介】
Thunder専用スキン『ブラックスワンの夢』
79式専用スキン『星空フォックストロット』
銃のケースも素敵なドレスのおかげで、なんだかオシャレに見えてくるかも。
どちらも「8月14日(金)メンテナンス終了後」よりショップで販売されるスキンパックにて入手可能です。
#ドルフロ http://pic.twitter.com/18hluCzvBS
posted at 12:54:16
RT @miaawa2230: http://pic.twitter.com/NSNBbPKdIr
posted at 12:07:07
RT @KissPRESS: 採りたて新鮮な巨峰を存分に楽しめる特別プラン http://kprs.jp/fmDcQ
posted at 10:05:30
RT @sdkfz01: ハイ、分かってます。ちょっと長くなり過ぎましたね。前編はここで終わりにしたいと思います。
後編では、紅茶文化が頂点を極めたビクトリア朝時代や、新しい流行が生まれた20世紀について書きたいと思います。
ここまでお読みいただいた方に深く感謝します。 http://pic.twitter.com/HSfjGyfHWh
posted at 08:38:38
RT @sdkfz01: 今や、茶は単なる商品ではなく、世界史を動かすファクターになっていたのです。その生産・流通・消費の経路は、覇権国家となった大英帝国の帝国主義支配の構造そのものに他なりませんでした。 http://pic.twitter.com/27KPFJvyZw
posted at 08:38:34
RT @sdkfz01: 同じ頃、中国から大量の茶を輸入する英国は深刻な貿易赤字に悩まされていました。1790年代、英国は植民地インドからの阿片密輸を開始します。この麻薬は中国で猖獗を極め、1820年代以降大量の銀が英国へ流出。1842年に清は阿片戦争に敗れ、その後阿片貿易は合法化。英国に多大な利益をもたらします。 http://pic.twitter.com/i7p2Xme40J
posted at 08:38:27
RT @sdkfz01: これは東インド会社に茶の販売に関する特権が与えられることに憤った植民地の急進派が引き起こしたものでした。やがてアメリカ合衆国が成立(1776年)すると、同国の国民は英国の支配を象徴する茶を嫌うようになり、替わってコーヒーを飲む習慣が定着するです。 http://pic.twitter.com/3RjjIXdjjO
posted at 08:38:24
RT @sdkfz01: この頃、英国の財政は逼迫していました。第二次英仏百年戦争に連なる大規模な戦争が繰り返され、戦費の負担が重くのしかかっていたのです。これにより北米植民地への課税が強化され、アメリカ合衆国の独立へと結びついていきます。その発火点がボストン茶会事件であったことは良く知られます。 http://pic.twitter.com/kU5U8sI75z
posted at 08:38:19
RT @sdkfz01: そして18世紀末にはスポード窯がボーンチャイナを完成させます。これは、温かみのある乳白色と滑らかな質感、美しい透光性が特徴で、最高級の磁器とも言われます。 http://pic.twitter.com/u1XLCJK4SD
posted at 08:38:14
RT @sdkfz01: ウェッジウッドが満を持して1774年に送り出したのがジャスパーウェアです。マットな質感と、華麗な新古典派様式の装飾を特徴とする上品な器は、たちまち欧米の上流階級の心をとらえました。 http://pic.twitter.com/ua6h77ZUvX
posted at 08:38:08
RT @sdkfz01: 18世紀後半になると陶磁器製の茶器が国産化されていきます。1761年、ウェッジウッド窯は美しい乳白色の「クリームウェア」を産み出します。生産は一部が機械化されていたため、価格は低廉に抑えられ、中産階級に愛用されました。 http://pic.twitter.com/tp8PAxVTKn
posted at 08:37:56
RT @sdkfz01: 茶が中産階級に広まるに伴い、小売りが行われるようになります。1706年、英国最古の紅茶専門店「トワイニング社」が開店。1720年代には高級食材店の「フォートナム・メイソン社」も茶の販売を始めました。両社とも現在では王室御用達の称号を得ています。 http://pic.twitter.com/oMIFyZqYcW
posted at 08:37:51
RT @sdkfz01: 余談ですが、本稿の冒頭で近世ヨーロッパに「コーヒー、茶、チョコレート」の三つの嗜好飲料がもたらされたと書きました。この内、チョコレートは早々に退場しています。生産コストが高かったことと、常飲するには風味が強烈だったからです。 http://pic.twitter.com/Xx3HxknAg6
posted at 08:37:46
RT @sdkfz01: ちなみにボヒーは17世紀の福建省で偶発的に生まれたとされ(同地の茶農園が戦乱に巻き込まれ、職人たちが避難。治安が回復してから戻ってきたところ、摘み取った茶葉が発酵してボヒーになっていた…という逸話がある)、専ら輸出用に生産される商品作物でした。 http://pic.twitter.com/cKjIwginWJ
posted at 08:37:38
RT @sdkfz01: 英国の水は石灰質で硬度が高いため、緑茶の風味は失われてしまいます。一方、タンニンを多く含む発酵茶(紅茶)はマイルドになり、ミルクや砂糖とも良く合うのです。
また、発酵茶は緑茶に比べ、輸送中の品質劣化を多少抑えることが出来ました。
こうして発酵茶が英国の茶の主流となったのです。 http://pic.twitter.com/5x6hJREv4a
posted at 08:37:36
RT @sdkfz01: この一文を見る限り、ボヒーは紅茶の直系の祖先であると考えて良いかもしれません。また当時の英国人はこう書き遺しています。
「緑茶を飲む自然な方法が、砂糖を入れない飲み方であるのは確かだ。…甘くすると薬効が失われる。…ボヒーの場合、砂糖は好ましく、必須である」 http://pic.twitter.com/uvvSRKeJJB
posted at 08:37:27
RT @sdkfz01: しかし、現在の紅茶に比べるとボヒーは発酵度が低く、風味は異なっていたと思われます。
1771年版ブリタニカ事典の「Tea」の項目には「ボヒーは他の茶より濃い色をしており、時に黒みがかっている。…緑茶はすみれの香りがするのに対し、ボヒーはバラの香りがする」と記されています。 http://pic.twitter.com/VPSS49uqyQ
posted at 08:37:22
RT @sdkfz01: 同時期、輸入される茶の種類も変化していました。1702年に東インド会社が買い付けた茶の内、9割が緑茶でしたが(重量ベース)、1760年代には発酵茶が7割を占めるようになるのです。
発酵茶の多くはボヒーと呼ばれるもので、書物によってはこれを紅茶に分類しています。 http://pic.twitter.com/b8izOud7ep
posted at 08:37:18
RT @sdkfz01: こうして18世紀に入ると英国の茶の輸入量は急増していきます。1720年代の年間90万ポンド(400トン)から、1785年には1,085万ポンド(4,900トン)へと10倍以上に跳ね上がる一方、価格は1ポンド(450グラム)あたり15シリングから2シリング(労働者の収入2日分)へと引き下げられたのでした。 http://pic.twitter.com/xSUxn6mVnv
posted at 08:37:13
RT @sdkfz01: ティーガーデンでは音楽の生演奏を聴きながら、季節の花々を愛で、ダンスに興じたり、打ち上げ花火を眺めたりすることが出来ました。英国におけるコーヒーハウスの凋落と、ティーガーデンの流行は、軌を一にしています。 http://pic.twitter.com/8twudy8y5C
posted at 08:37:11
RT @sdkfz01: とはいえ、お茶会を悉く家の中で開いていたのでは、女主人(主婦)も使用人もたまったものではありません。そこで半公共的な社交施設としてティーガーデンが出現しました。
1シリングの入場料(労働者の日給に相当)を払えば、身分や性別に関係なく茶と軽食を庭園で楽しめるというものです。 http://pic.twitter.com/1hcr2xDxhl
posted at 08:37:05
RT @sdkfz01: どこが「真面目」なのか良く分かりませんが、女性が家庭の外で茶やコーヒーを飲むことに、英仏間で相当の意識の違いがあったことは明らかです。
そして英国では1730年代を境にコーヒーハウスは急減、自宅での茶会がこれに取って替わりました。欧州大陸でカフェとコーヒーが浸透していた頃です。 http://pic.twitter.com/JvubZhCSqI
posted at 08:36:50
RT @sdkfz01: 1700年にフランスで出版された書物にはこう記されています。
「カフェは男女を問わず、真面目な人々の訪れる場所になっている。粋な男、コケットな女、…恋の冒険家、若い色男に老けた恋愛中毒者、…エトセトラ、エトセトラ」 http://pic.twitter.com/295mo926Q2
posted at 08:36:42
RT @sdkfz01: こうして、貴族や中産階級の女性から絶大な支持を得た茶は、一家団欒や社交のシーンに必要不可欠なものとなり英国を席巻。コーヒーを完全に駆逐してしまうのです。18世紀前半の事でした。
ちなみにフランスのカフェは女性を締め出さず、コーヒーが国民的飲料に昇華する一因となりました。 http://pic.twitter.com/K9ONWWIOSx
posted at 08:36:37
RT @sdkfz01: 当時英国で隆盛を極めていたコーヒーハウスは、女性客を締め出していました。ナンパ目的のチャラ男や、その道のプロの女性を排除し、風紀を保つ為でしょう。しかし、この結果、コーヒーは女性の心を射止めることが出来ませんでした。そして18世紀以降、家政を預かるのは女性の役割となったのです。 http://pic.twitter.com/F4ARUEcgdW
posted at 08:36:28
RT @sdkfz01: こうして見てみると、茶が英国の女性王族に如何に愛好されていたかが良く分かります。そして中国からの輸入量が増え、価格も安定すると、茶を飲む習慣は貴族から中産階級の女性へと一気に広がっていったのです。 http://pic.twitter.com/BGdqCHyH9x
posted at 08:36:26
RT @sdkfz01: 当時最高級とされた中国や日本のポット(急須)はサイズが小さく、英国には磁器を作る技術が無かったため、替わりに銀で大きなサイズのものを作ったのです。
このポットはその後、多数の客を招く上流階級のお茶会のマストアイテムとなりました。 http://pic.twitter.com/dNZYLD91ya
posted at 08:36:22
RT @sdkfz01: メアリ2世と夫のウィリアム3世の死後、1702年に英国王に即位したアン女王(メアリ2世の妹)もまた、お茶を愛した王族の一人でした。彼女は社交的な性格で、大勢の客を招いては茶をふるまいました。こうして生まれたのがたっぷりと茶が入る「アン女王スタイル」と呼ばれる大きな銀製のポットです。 http://pic.twitter.com/KDyPnneCSt
posted at 08:36:16
RT @sdkfz01: この時代は「近代的」な家族制度の黎明期で、「家政を預かる性」としての女性像が、まさに構築されつつある最中でした。夫や女友達とアットホームな雰囲気で茶を飲むメアリ2世は、そのロールモデルとしてうってつけで、中産階級の主婦層の「お手本」となったのです。 http://pic.twitter.com/vkZO55W4H2
posted at 08:36:09
RT @sdkfz01: 1689年、名誉革命を経てオランダから来たジェームズ2世の娘、メアリ2世と夫のオランダ総督ウィレム(英国王ウィリアム3世)が英国の共同統治者となります。
メアリ2世は控えめな性格で、従来の慣例であった王族の日常生活を廷臣や国民に公開する習わしを嫌い、夫や親密な友人と茶を愉しみました。 http://pic.twitter.com/fjh5Cg3Q3z
posted at 08:36:02
RT @sdkfz01: 1685年に即位したジェームズ2世(キャサリン・オブ・ブラガンザが嫁いだチャールズ2世の弟)の妃、メアリ・オブ・モデナは、結婚前にオランダの宮廷に仕えており、最新流行の茶の楽しみ方を英国の宮廷へ持ち込みました。
茶にミルクを入れる風習は彼女がもたらしたものです。 http://pic.twitter.com/XhWCSP2dec
posted at 08:35:58
RT @sdkfz01: これほど茶の貿易が拡大したのは理由があります。幾人もの英国の女性王族が茶を愛飲し、その習慣は貴族から中産階級へと広まっていったのです。
これは、イングランドに於いてコーヒーが初めから市民階層(中産階級)の男性向けの飲み物として登場したのとは対照的と言えるでしょう。 http://pic.twitter.com/LV6UmoFUbR
posted at 08:35:51
RT @sdkfz01: 17世紀末、英国は中国から茶を直接買い付けることに成功し(一説によると1689年)、以後取引量は急増していきました。1720年代には880万ポンド(4,000トン)が輸入されています。
価格も低下し、茶1ポンド(450グラム)あたり15シリング(労働者の半月分の収入に相当)前後に落ち着きました。 http://pic.twitter.com/1x7lRswAz9
posted at 08:35:49
RT @sdkfz01: 戦いで消耗したオランダは、香辛料貿易に依存した経済から脱却できなかったこともあり、18世紀に入ると凋落していきます。
替わって海洋国家として抬頭する英国に対し、ライバルのフランスが挑戦する所謂「第二次百年戦争」が18世紀の列強間パワーポリティクスの基調となりました。 http://pic.twitter.com/PEGYmEiTqM
posted at 08:35:45
RT @sdkfz01: キャサリンの輿入れから7年後の1669年、英国はオランダからの茶の輸入を禁止。中国からの直輸入を図ります。
英蘭戦争は双方に甚大な損害を与えながら継続されていましたが、漁夫の利を得ようとしたルイ14世統治下のフランスがオランダに牙をむくと、紆余曲折の末に英蘭両国は講和。 http://pic.twitter.com/F9jYXYNKGW
posted at 08:35:36
RT @sdkfz01: キャサリンとチャールズ2世の政略結婚には、イングランドとポルトガルが連携してオランダに対抗する意図があり(ポルトガル側はスペインの牽制も狙っていた)、この時イングランドに贈られたボンベイは、英国東インド会社の拠点として発展していくのです。 http://pic.twitter.com/HNr9erGJE1
posted at 08:35:29
RT @sdkfz01: こうしてティーはイングランドの宮廷に根付きましたが、供給路をオランダに押さえられている以上、消費量の拡大には限界がありました。
そして正にこの時代、英国とオランダは海上覇権を賭けて壮絶な死闘を繰り広げていたのです(三次に渡る英蘭戦争、1652年〜1672年)。 http://pic.twitter.com/KF3RUjWEJF
posted at 08:35:23
RT @sdkfz01: キャサリンはウィンザー城や私邸サマセットハウスで度々茶会を開きました。王妃の洗練された物腰と、異国情緒溢れる茶器の数々は、たちまち貴族の女性たちを魅了します。特に中国や日本で作られた染付の茶碗は、磁器を知らなかった英国人を感嘆させ、上流階級の地位の象徴となりました。 http://pic.twitter.com/rmkaT4MYCy
posted at 08:35:19
RT @sdkfz01: ヴィーナスが身に纏う天人花 アポロが冠る月桂樹
そのいずれにも勝る茶を 陛下はうやうやしく礼賛された
最高の王妃 最高の木の葉
それは日いずる 美しい地に至る道を示してくれた
その地で採れる その豊かな飲み物を 我らは愛でる
posted at 08:35:11
RT @sdkfz01: 1662年、英国王チャールズ2世のもとに嫁いできた彼女は、母国ポルトガルから持参金がわりとして大量の砂糖と、茶を持って来たのです。衰えたとはいえ、いかにも海洋国家らしい手土産ですね。王妃が持ち込んだ茶は、宮廷で評判となりました。
詩人のウォーラーは次のように謳っています。 http://pic.twitter.com/WqY2aQE1XM
posted at 08:35:08
RT @sdkfz01: 同じ頃(17世紀後半〜18世紀初頭)、英国ではモカから輸入されたコーヒーと、コーヒーハウスが持て囃されていたことは、既に書いた通りです。
当時、茶は薬として細々と売られているに過ぎませんでした。そのような状況を変化させたのがポルトガル王女キャサリン・オブ・ブラガンザの輿入れです。 http://pic.twitter.com/lZW08tSl1u
posted at 08:35:01
RT @sdkfz01: このため、オランダでもフランスでも茶は遂に国民的嗜好飲料とはならず、前述のように18世紀前半に植民地産の安価なコーヒーが登場すると、マイナーな存在に転落しました。 http://pic.twitter.com/QaHrwBSYRc
posted at 08:34:50
RT @sdkfz01: フランスでも茶は好評で、王族や富裕な文化人が愛飲しました。その中には劇作家のラシーヌ、「茶の賛歌」をものした詩人のピエール・ヒュエが名を連ねます。
17世紀末、中国茶の値段は1ポンド(約450グラム)あたり70リーブル、日本茶は200リーブルでした。女中の年収が30リーブルの時代に、です! http://pic.twitter.com/JjKewLW766
posted at 08:34:37
RT @sdkfz01: 尤も、これを白い目で見る人もいたようで、1701年には、「お茶にイカレたご婦人たち」という風刺劇がアムステルダムで上演されたという記録が残っています。
それでも茶の輸入量は増え続け、1716年には10万ポンド(金額)が買い付けられました。このうち9万ポンドが緑茶、残りが発酵茶でした。 http://pic.twitter.com/u3QExCkTiO
posted at 08:34:32
RT @sdkfz01: 東アジアから遥々運ばれてくる茶は非常に高価でしたが、それ故にステータスシンボルとして、オランダの上流階級を虜にしました。
エキゾチックな東洋(中国や日本)の美しい器に注がれ、ジャワ産の砂糖を加えて飲む一杯は、選ばれた者にのみ許される最高の贅沢だったのです。 http://pic.twitter.com/nW51I7tazm
posted at 08:34:29
RT @sdkfz01: 「ティー」という英語が生まれた背景には、海洋国家オランダの繁栄があったワケですね。 http://pic.twitter.com/9j0SmOzVfx
posted at 08:34:22
RT @sdkfz01: 1658年、あるロンドンのコーヒーハウスが茶を売り出した時の広告にはこう記されています。
「素晴らしい中国の飲み物。中国人はTchaと呼び、他の国民にはTeeと呼ばれている。コーヒーハウス『スルタン王妃の首』にて販売中」
こうして、英国では1670年代に入って遂に「Tea」の表記が定着したのです。 http://pic.twitter.com/44QGXAMmUi
posted at 08:34:14
RT @sdkfz01: 過渡期にある1629年、オランダ東インド会社のバタビア商館が本国に送った報告書には、次の一文があります。
「日本のChaも、中国のTheeも入手困難である」 http://pic.twitter.com/FIuWKEYrIJ
posted at 08:34:10
RT @sdkfz01: 個人的には始めは後者が主流で、徐々に前者へ切り替わったのではないかと思います。いずれにせよ、福建産の茶が欧州に輸入されるようになり、茶の名称は「TAY」系に上書きされていったのです。 http://pic.twitter.com/aL5ymI04PW
posted at 08:34:01
RT @sdkfz01: これに対し、オランダは福建商人から茶を買い付けるようになったのです。交易ルートについては、アモイの商館を通じて現地調達したという話と、東インド会社の拠点があったジャワ島のバンタムに来る福建商人の船から買ったという話の二つがあります。 http://pic.twitter.com/WAmNl73bF3
posted at 08:33:58
RT @sdkfz01: また、前述のように最初期に輸入されたのが日本茶であり、茶の湯文化にインスピレーションを受けたことも挙げられるでしょう。(但し、「鎖国」後には日本からの茶の輸出は徐々に減少し、世界市場から退出します) http://pic.twitter.com/DawY0006km
posted at 08:33:55
RT @sdkfz01: 同じころ、オランダはポルトガルを圧迫し、茶の貿易をほぼ独占します。そして、この結果として、欧州諸国における茶の名称が広東語の「CHA」系から福建語の「TAY」系に切り替わるのです。
そもそも西洋に当初「CHA」系が広まったのは、中国貿易の拠点が広東(特にマカオ)に設けられた為でした。 http://pic.twitter.com/FSyyf44mn8
posted at 08:33:53
RT @sdkfz01: 英国東インド会社の平戸商館が、京都にいる駐在員に宛てて、最上級の茶(Chaw)を買い付けるように要請した文書(1615年6月27日付)が残されているのがその証左です。
しかし、アンボン事件(1623年)と日本の「鎖国」政策により英国は東アジアから一時撤退を余儀なくされたのでした。 http://pic.twitter.com/tTUDbtXroj
posted at 08:33:50
RT @sdkfz01: 記録に残る限りで、最初に茶をヨーロッパに輸入したのはオランダでした。1609年に平戸に入港したオランダ東インド会社の船が、翌年アムステルダムに茶を持ち帰ったのです。
海洋国家に変貌しつつあった英国も、茶に関心を示していました。 http://pic.twitter.com/WKqjUcIl2j
posted at 08:33:43
RT @sdkfz01: 茶は非常に重宝され、彼らの間で非常に評判が良い。…(日本では)紳士が自ら茶を淹れ、友人を歓待する際にはその熱い湯を供する。…彼らは茶を淹れて飲む陶器の碗を、我々がダイヤやルビーなどの宝石を重んじるのと同じように大切にしている」 http://pic.twitter.com/aI4DEtx6Ep
posted at 08:33:41
RT @sdkfz01: ポルトガルに続いてオランダも東アジアに進出しました。探検家のヤン・ファン・リンスホーテンは、1596年に「東方案内記」を書き日本の茶文化を紹介しています。
「食後、彼らはある飲み物を飲む。それは壺に入った熱い湯で、茶(Chaa)と呼ばれる薬草の粉末で作られる。 http://pic.twitter.com/2So76ftv4r
posted at 08:33:31
RT @sdkfz01: 時を同じくして、宣教師達は日本の「茶の湯」文化に接触します。ルイス・フロイスやアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、日本の有力者が古びた茶道具を非常に価値ある物として大切に扱っていることを報告しています。
なお、いち早く茶を知ったポルトガル人は今でも「CHA」の語を使います。 http://pic.twitter.com/NmyZqXA76G
posted at 08:33:27
RT @sdkfz01: 中国での布教活動に携わったポルトガル人宣教師ガスパール・ダ・クルスは、帰国後、1560年代に「中国の諸事に関する考察」を上梓します。これはアジアで実際に茶を飲んだ西洋人の手になる最初期の記録だと思われますが、中国の上流階級に愛されるこの飲み物は、CHAと書かれています。 http://pic.twitter.com/r0qukzmZGy
posted at 08:33:19
RT @sdkfz01: ヨーロッパの文献で初めて茶について言及したのは、ヴェネチア人のジョヴァンニ・ラムージオが1559年に出版した「航海記・旅行記集成」です。ラムージオはこの中で茶を中国人が珍重する薬効のある神秘的な飲み物として描写していますが、茶はCHAIと記されています。 http://pic.twitter.com/kaaIMWPK62
posted at 08:33:16
RT @sdkfz01: 一方、後者(福建語の「TAY」)は十六世紀前半のポルトガル人の極東来航以降に、海路欧州へ渡り、オランダ語のTHEE、スペイン語のTE、ドイツ語のTEE、フランス語のTHE、そして英語のTEAになりました。
とは言え、欧州でも初めのうちは「CHA」系の表記が主流であったようです。 http://pic.twitter.com/veR96tqOgz
posted at 08:33:10
RT @sdkfz01: お茶を意味する言葉には、二つの源流があります。即ち、広東語の「CHA」と福建語の「TAY」です。
前者は主に陸路でユーラシアへ伝播し、インド(CHAI)、ペルシア(CHA)、トルコ(CHAY)、ロシア(CHAI)へ入りました。 http://pic.twitter.com/jBi0zwn4M3
posted at 08:33:06
RT @sdkfz01: 発酵茶が生まれたのは比較的最近で、15世紀頃とも言われます。中国の発酵茶は豊富なバラエティーがあり、発酵の度合いと製法によって、白茶、黄茶、青茶(烏龍茶はこれに含まれる)、紅茶、黒茶に大別されます。紅茶は専ら欧州への輸出用で、18世紀以降に生産が本格化しました。 http://pic.twitter.com/LFu7H0p0eF
posted at 08:32:56
RT @sdkfz01: ここで一旦時間を巻き戻し、西洋人とお茶の出会いから、イングランドへの浸透の過程を概観しましょう。
お茶の原産地は言うまでもなく中国で、紀元前から飲まれていました。中国のお茶と言うと、私のような門外漢は烏龍茶を思い浮かべますが、現代でも主流は緑茶だそうです。
(消費量の7割程度) http://pic.twitter.com/Yy9dpUKI6w
posted at 08:32:50
RT @sdkfz01: こうして、英国ではお茶、欧州大陸ではコーヒーという、現代に通じる大まかな構図が出来上がったのです。 http://pic.twitter.com/3A9G7vQugg
posted at 08:32:43
RT @sdkfz01: 1690年代、英国東インド会社の輸入金額に占めるコーヒーの割合は8.1%、茶は1.4%でしたが、1750年代にはそれぞれ3.8%と22.6%になります。そして1760年代、茶の割合は39.5%に達し、最大の輸入品目にのし上がったのです。この頃、英国は欧州に輸入される茶の3/4を消費していました。 http://pic.twitter.com/MBsDYO1wBK
posted at 08:32:40
RT @sdkfz01: また、詳細は後述しますが、内的要因によっても、茶の需要が高まっていました。
こうして、英国ではコーヒーは茶に敗退したのです。
ただし、まだ現代のような紅茶は登場していません。当時飲まれていたのは、東洋(主に中国)から輸入した緑茶や、質の低い発酵茶でした。 http://pic.twitter.com/kNovOR7uGq
posted at 08:32:34
RT @sdkfz01: これにより蘭仏両国ではコーヒーが愛飲されるようになる一方、アラビア半島南端のモカからコーヒーを輸入していたイギリスは価格競争に敗れ、嗜好飲料を茶に代替していくのです。熾烈な重商主義的貿易戦争が展開されていた当時、戦略物資を競合国に依存することは許されませんでした。 http://pic.twitter.com/BwoSmcLLmR
posted at 08:32:25
RT @sdkfz01: また、18世紀前半、オランダがジャワ島で、フランスはカリブ海で、大規模なプランテーションによるコーヒー栽培を成功させ、安価なコーヒーが大量にヨーロッパに齎されたことも挙げられます。 http://pic.twitter.com/eDpAc0UokO
posted at 08:32:19
RT @sdkfz01: 隆盛を極めたコーヒーハウスですが、18世紀前半、忽焉と終わりの時を迎えます。8,000軒もあった店の数が、1739年には551軒に激減していることが、それを如実に物語っています。
その原因は、複合的なものでした。一つは、市民階層がコーヒーハウスに飽き、クラブ等に交流の場を移したことにあります。 http://pic.twitter.com/syTrw2uLl2
posted at 08:32:12
RT @sdkfz01: 意見を異にする人々の熱気にむせかえる場では
言論の自由は許されてしかるべきもの
それこそがコーヒーハウス
なぜなら他のいったいどこで
これほど自由に談ずることが出来よう
posted at 08:32:04
RT @sdkfz01: 既存の嗜好飲料である酒と異なり、コーヒーは飲んでも酔わないどころか、却って頭が冴えるので、真面目な話には好適でした。1杯分の代金、1ペニー(庶民の食費半日分)を払えば様々な情報が得られるので、コーヒーハウスは「1ペニー大学」とも称されます。当時の詩には次のような一節があります。 http://pic.twitter.com/uqgenIAKXs
posted at 08:31:58
RT @sdkfz01: 良く知られる通り、コーヒーハウス文化の担い手は新興の市民層でした。商業経済の発展と清教徒革命によって台頭した彼らは、コーヒーハウスに集い、商売に関する情報を交換し、政治について語り合いました。その意味で、コーヒーハウスは公共的な空間だったのです。 http://pic.twitter.com/O5xgUFHIPI
posted at 08:31:46
RT @sdkfz01: なお、パリにおいては、最初のカフェが出来たのが1672年で(ウィーンはさらに遅れて1683年)、1788年に至っても1,800軒しかなく(当時パリの人口は60万人)、英国のコーヒーブームが如何に早く、そして激しかったかが分かります。 http://pic.twitter.com/vLHYfPxX61
posted at 08:31:40
RT @sdkfz01: 1652年にはロンドン初のコーヒーハウスが開店。間もなくコーヒーは爆発的な人気を博し、英国ではヨーロッパに先駈けて喫茶文化が花開きます。人口50万人のロンドンには、1683年に3,000軒、1714年には8,000軒ものコーヒーハウスが営業していたと言われます。 http://pic.twitter.com/qxepjN9XAW
posted at 08:31:35
RT @sdkfz01: アラビア半島原産のコーヒーは、地中海貿易を介して16世紀末に南欧へ伝播し、17世紀の前半にはイングランドへ上陸を果たします。
一説によると、同国で最初にコーヒーを飲んだのは血液の循環を発見したことで知られる解剖学者のウィリアム・ハーヴェイであるとされます。1627年の事だったとか。 http://pic.twitter.com/uvUdiXeD8v
posted at 08:31:29
RT @sdkfz01: やがて大航海時代を経て、西欧諸国がグローバルな交易網を構築すると、異国情緒豊かな飲み物が海原を越えてヨーロッパに齎されます。コーヒー、チョコレート、お茶です。
この三つの内、最初にイングランドに定着したのは、意外なことにコーヒーでした。 http://pic.twitter.com/vmtxLxesD4
posted at 08:31:24
RT @sdkfz01: さて、中世ヨーロッパの嗜好飲料と言えば、もっぱらアルコール類でした。様々な種類のビールやワイン、雑多な果実酒などなど。昼間から呑んだり、子供に飲ませることも珍しくなかったようです。 http://pic.twitter.com/6A8FYTcM7N
posted at 08:31:22
RT @sdkfz01: え?ロシアンティー?
あれは、まあ…ちょっと毛色が違うのでまたの機会にでも。 http://pic.twitter.com/BYLM9ddskL
posted at 08:31:20
RT @sdkfz01: 【英国紅茶の歴史 或いはイギリス人は如何にしてティーを愛するようになったか/前編】
英国人の「紅茶好き」は夙に知られるところで、他の欧米諸国ではもっぱらコーヒーが愛飲されるのと対照を成します。
本稿では近代の社会・経済史を織り込みつつ、紅茶が英国を征服する過程を概観します。 http://pic.twitter.com/AKJc1WXSuN
posted at 08:31:15
RT @kurokazu_45: 特大ハサミ菊!
仏壇のお供え(食べない)専用に常連様にお作りしています。
フグの約6倍!(笑)
お盆期間中の仕事が詰まっており、お客様の希望通りにご用意できない場合が増えております🙇?♂?
また、ネットで広まってしまいましたが、県外からの御来店もご自粛頂きますよう、改めてお願い致します🙇?♂? http://pic.twitter.com/9xqsN2Jtzu
posted at 08:31:08
RT @t_hirayama0227: 麗しの桃モッツァレラ。
#きほんのうつわ http://pic.twitter.com/fRlHp7uMZh
posted at 08:31:03
RT @Bili_papa: @omiyayogashiten 早速いただきましたヾ(????)ノ" http://pic.twitter.com/gdacX4Ot2S
posted at 08:30:55
RT @omiyayogashiten: いいシャインマスカットが入ったのでタルトにしました👨?🍳👩?🍳味も最高です?ちょっと贅沢してみませんか? http://pic.twitter.com/UBQrNDahfX
posted at 08:30:44
8月13日は、 #怪談の日 。ということで、怪談番組らしい表情も付けて司会をする長澤奈央嬢...ですね。
posted at 07:50:47
RT @beniyamiyake: 私たちはどうかしているを視聴しながら和菓子作り中〜🍡 http://pic.twitter.com/QOuIATmjsv
posted at 07:50:39
RT @beniyamiyake: #私たちはどうかしている に便乗して綺麗な和菓子を? http://pic.twitter.com/HrN13U4L0X
posted at 07:50:36
RT @Kyoto_Lovers: 【きょうの和菓子の玉手箱】青空の下、太陽に向かうように・・・『日輪草・えん寿』詳しくはblogでね! http://kyoto-lovers-forum.com #京都 #和菓子の玉手箱 #和菓子 Instagramはコチラ https://instagram.com/kyoto_lovers?igshid=1ksovrq7hvwlh http://pic.twitter.com/LTu5nN7Nj1
posted at 07:50:34
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