森鴎外 『伊沢蘭軒』 「徳川十四代将軍（家茂）が上洛の供を命じた…

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青空文庫図書カード: 森鴎外 『伊沢蘭軒』

現代語化

「14代将軍の上洛に同行した奥医師は戸塚静寿院法印、竹内渭川院法印、本康州法眼、三上快庵法眼と先生だった。あと、手術見習いの村山伯元も付いてた。戸塚と竹内は西洋医学を学んでたんだ。」
「老中の水野和泉守忠精は西洋医学を信じてて、奥医師に汽船『咸臨丸』に乗るよう命じた。水野は先生が西洋の機械とか科学に全然興味がないのを知ってたから、わざとそんな命令を出したんだ。」
「先生は困った。命令に従って汽船に乗るか、それとも辞退するか。辞退すればクビになるかもしれない。先生は水野が絶対にクビにすると思ってた。」
「先生は、前に阿部侯の治療を1人で担当したときと同じように、弟子の中で偉い人に集まってもらって意見を聞いた。」
「弟子たちは意見が分かれた。竹内立賢たちは先生がこっそり汽船に乗るべきだと勧めた。先生がいなくなると、官僚の医者の中に漢方医の大物がなくなるからな。それに対して俺は言った。「先生、絶対に汽船に乗らないでください。クビになっても漢方医学の発展のために野に下って活動しましょう」って。先生は最初から老中の命令に従う気はなかったから、俺たちの言葉を聞いて喜んでた。」
「先生は決心して乗船を辞退することにした。だけど、命令に背くような形になるのは避けようと思って、多紀安琢と津軽玄意の名前で嘆願書を出すことにした。」

原文 (会話文抽出)

「徳川十四代将軍（家茂）が上洛の供を命じた奥医師は戸塚静寿院法印、竹内渭川院法印、本康州法眼、三上快庵法眼と先生とで、これに奥外科見習村山伯元が副へてあつた。戸塚、竹内はジイボルト門下の蘭方医である。そして老中の有力者水野和泉守忠精は蘭方医を信用してゐた。」
「老中水野は奥医師に汽船咸臨丸に陪乗することを命じた。水野は先生が一切の西洋機巧に触接しないのを熟知してゐて此命を下した。先生は岐路に立つた。屈従して汽船に乗らむか又水路を行くことを辞せむかと云ふ岐路である。若し水路を行くことを辞するときは、職を褫はれる虞がある。先生は少くも水野が必ず職を褫ふだらうと惟つた。」
「先生は前に単独に阿部侯の治療に当つた時の如く、又門人中の重立つたものを会して意見を問うた。」
「門人は硬軟二派に分れた。竹内立賢等は先生に忍んで汽船に乗らむことを勧めた。是は先生が若し職を失ふと、官医中には漢方医の有力者が無くなるからである。これに反してわたくし共は云つた。先生決して汽船にお乗なさるな。若し旨に忤つて職を免ぜられると云ふことになつたら、野に下つて漢医方の興隆をお謀なさるが宜しいと云つた。先生は初より老中の言に従ふ意がなかつたので、わたくし共の言を聞いて大に喜んだ。」
「先生は意を決して上船を辞せむとした。しかしその抗命に類することを避けむがために、多紀安琢、津軽玄意の名を以て歎願書を呈することにした。」

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